プロフィール | 山岡達丸オフィシャルサイト

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PROFILEプロフィール

エピソード

学生時代

中学時代は水泳部に所属。高校のとき、記者を目指すことを決め、大学時代には学生新聞団体に所属。3年生で編集を務める。夏や春の長期休暇には、10か国以上を歩く。リュック一つで旅する、いわゆる「貧乏旅行」。エジプトからシリア、インドからトルコなど、各地の文化に触れる。

記者時代

NHK記者として就職後、祖父が小説家として活動していた北海道を希望し、赴任。初任地は帯広市。脱税や贈収賄など多くの事件事故の取材のほか、広大な畑作地帯において国の農業政策の大きな変更によって振り回される農家、またBSE(牛海綿状脳症。牛の感染症)の発生、生乳の生産調整、飼料価格の高騰、人手不足などによって酪農経営が大変な苦境に立たされる激動の農政時代における現場取材など、多くの経験を積む。

政治家を目指す決断 ~北海道の記者生活の中で感じたこと~

きっかけは、2007年頃の帯広新聞のとある広告。「企業面接会」と謳われ、会場に行くだけで2000円、コーヒー紅茶飲み放題、お菓子食べ放題という信じられない広告でした。大企業が東京などから地方に出てきて、人を採用するために開いた面接会だという事が、取材でわかりました。
2007年頃までのリーマンショック前の日本は、いざなぎ景気に匹敵する空前の景気回復時期とされました。しかし、多くの人たちには「実感なき景気回復」でした。景気回復の恩恵は全く感じられないような、まさに今と似た状況だったのです。当時も、東京などの大都市では圧倒的人手不足で、北海道にも大企業の人事担当者がやってきて、次々に採用を決めていき、若い人たちは、良い仕事を求めて東京などに出ていきました。本当は、地元北海道で働きたくても、仕事を求めて大都市に出ていく、その結果地方はますます人口減少が進む。景気回復の実感など、ほとんど感じないばかりか、どんどん衰退していく。まさに地域格差が広がっていく。その社会現象の一つが、その面接会場の様子でした。

これは一極集中、つまり中央集権政治をベースにした日本の社会構造そのものの問題です。報道を通じて問題提起をすることも、もちろん重要です。しかし私は、社会構造そのものを変えたいと考えるようになりました。すなわち政治を舞台にして、地方経済に活力をもたらし、職場を守り、子どもたちが将来の夢を語れるような北海道をつくりたい。地域に夢と豊かさを勝ち取るためにやりがいをもって働きたい。そんな思いを胸に29歳でNHKを辞めて、政治の道を切り拓いていく決意をしました。

家庭生活

妻と結婚したのは浪人中でほとんど収入が無い時で、本当に感謝しかありません。今は幼い子供と3人で暮らしていますが、私が夜遅くに帰宅した時にも、妻の温かい食事を食べ、子供の寝顔を見たら一日の疲れが和らぎます。家族には本当に支えられています。

略歴

慶応義塾大学を卒業後、NHK記者として祖父よりゆかりある北海道に赴任。
帯広、苫小牧、室蘭、札幌などで取材活動。

2009年の衆議院議員選挙において
北海道ブロックにて30歳で初当選。
政権与党時代には予算員会や農林水産委員会の一員として活動。
党の成長戦略検討プロジェクトチームや農業者戸別所得補償制度検討ワーキングチームなど、多くの政策検討チームにて副座長、事務局長等を務める2014年の衆議院議員選挙では、北海道第9区より立候補、議席まで2000票あまり足りず惜敗。

2017年の衆議院議員選挙では、北海道第9区にて88320票を頂き、国会議員として再選。その後、経済産業委員、沖縄北方特別委員会理事、党農林水総合調査会・副会長などを務める

山岡達丸のプロフィール

1979(昭和54)年7月22日生まれ かに座のA型